しゅんしゅんと 薬缶息まく 奥津軽 しんしん積もる 雪の声聞く
しゅんしゅんと やかんいきまく おくつがる しんしんつもる ゆきのこえきく
奥津軽の冬は厳しい。暖かい部屋の中ではしゅんしゅんと薬缶の蒸気、凍てつく外ではしんしんと雪がふりつもっている。
津軽百首で詠んだ「津軽の冬」に、
安田蝸牛さんから新しい見方をいただいたので、
考察とともに公開させていただきます。
まず、先日公開した「津軽の冬」と相違は、
「しゅんしゅんと薬缶息まく奥津軽 しんしん積もる雪は重なり(ふじこ)」
「しゅんしゅんと薬缶息まく奥津軽 しんしん積もる雪の声聞く(安田蝸牛さん)」
です。
この最後の部分の違いについて、
考察を書いていきます。
まず、最後の部分が「雪は重なり」の場合、
「しゅんしゅんと」「しんしん」という音の情景から、窓の外の景色へいざなっています。
これは、雪国出身の方なら共感いただけると思うのですが、
「薬缶の音が響くくらい静かなので、きっと雪が降り積もっているのだろう」という予測です。降り積もる雪が全ての音を吸い込んでしまうので、薬缶の音が響くということは、必然的に外が静寂である(=雪が降っている)という前提条件のもとに詠んだ歌になります。
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それに対して、最後の部分が「雪の声聞く」になりますと、
「しゅんしゅんと」「しんしん」という音の情景をより際立たせる描写になります。
雪国出身者の前提条件である「雪が降る=静寂」がなくとも、
薬缶の蒸気の勢いと、外の静寂さの対比が浮かぶ歌となります。
また、ずっと「音」に注目し続けることで世界がぶれないですし、先ほどの歌とは全く違った視点になります。
どちらの首が優れているか、とかではなくて、
どちらも津軽の冬を詠んだ首で、二つの見方で楽しんでいただけたらと思います。
それにしても、最後の部分でここまで意味が変わるとは、
まったくもって言葉は深いものですね。
今回、掲載を許可してくださった安田蝸牛さんに改めて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!
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