今はもう 便りなくとも 赤錆を 纏い待つのか 郵便受けよ
いまはもう たよりなくとも あかさびを まといまつのか ゆうびんうけよ
空き家となった玄関にある古い郵便受けよ。
もう表札も外され主人はいないというのに、錆を纏いながらも、未だ便りが来るのを待っているのだろうか。

以前の短歌でも書いたように、
帰省するたびに空き家が増えています。
農業だけで生活するには、
未だに厳しいのが現実で。
同じ津軽でも栄えている、
青森や弘前や五所川原に家を構える人が増えて。
そうなると、
表札が外されて空き家となる。
スポンサーリンク
私がまだ小さかった頃は、
もっともっと活気があって、
どこでもみんなの笑い声がしていた。
その声が聞こえていた家も、
りんご畑も、
学校すらも、
今はひっそりと佇んでいるだけ。
この歌は、
主人が家を離れ表札をはずされた郵便受けが、
それでも便りが来るのを待っているさまを詠んでみました。
いずれこの空き家も取り壊されて、
ただの更地となり、
風が草花を揺らす場所となるのでしょう。
ならばせめて、
今はあの頃を思い出し、
せめてその想いが家人の元に届くよう祈るのみです。