今はもう 便りなくとも 赤錆を 纏い待つのか 郵便受けよ
いまはもう たよりなくとも あかさびを まといまつのか ゆうびんうけよ
空き家となった玄関にある古い郵便受けよ。
もう表札も外され主人はいないというのに、錆を纏いながらも、未だ便りが来るのを待っているのだろうか。
![](https://tankaw.com/wp-content/uploads/2019/06/59BA527F-E03B-4E22-B87C-AEBAC56B170E.png)
以前の短歌でも書いたように、
帰省するたびに空き家が増えています。
農業だけで生活するには、
未だに厳しいのが現実で。
同じ津軽でも栄えている、
青森や弘前や五所川原に家を構える人が増えて。
そうなると、
表札が外されて空き家となる。
スポンサーリンク
私がまだ小さかった頃は、
もっともっと活気があって、
どこでもみんなの笑い声がしていた。
その声が聞こえていた家も、
りんご畑も、
学校すらも、
今はひっそりと佇んでいるだけ。
この歌は、
主人が家を離れ表札をはずされた郵便受けが、
それでも便りが来るのを待っているさまを詠んでみました。
いずれこの空き家も取り壊されて、
ただの更地となり、
風が草花を揺らす場所となるのでしょう。
ならばせめて、
今はあの頃を思い出し、
せめてその想いが家人の元に届くよう祈るのみです。