津軽百首(斜陽館)

オレンヂの 光に染まる 斜陽館 太宰の心 今も伝へし

おれんじの ひかりにそまる しゃようかん だざいのこころ いまもつたえし

オレンジ色の夕暮れに染まる斜陽館。
幼少の頃の太宰治は、この夕日をどうみていたのだろうか。

津軽の作家と言えば「太宰治」。
斜陽館は、その太宰治の生家であり、
幼少時代を過ごした場所です。

場所は、青森県五所川原市金木町(旧・青森県北津軽郡金木町)

私の祖父が、金木町出身ということもあり、お花見の時期は芦野公園に桜を見に行ったものです。

高校の頃に、父から太宰治の小説「津軽」を手渡され読んだのですが、その当時はあまり印象に残らなかった気がします。

それは、まだ津軽から出たこともなければ、社会に出たこともない子供だったからかもしれません。

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最近、改めて「津軽」を読み直してみたのですが、あの頃と違って、とても心に響きました。

太宰治の津軽への愛が、痛いほど伝わるのです。

見栄っ張りで、強情で、不器用で、素直なじゃなくて、誤解されやすい。
それでいて、変なところで情が熱くて憎めない。

ああ、そうだよね、だから父は「津軽」を勧めてくれたんだね、と。

娘にとっての「津軽」は、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこたちがいる楽しい場所。
いつか、大人になったら、私も父がそうしてくれたように、太宰治の「津軽」を手渡してみようと思います。


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津軽百首(春遠い日)

津軽野の 弥生の空は 青くとも 雪まだ深く 春遠い日々

つがるのの やよいのそらは あおくとも ゆきまだふかく はるとおいひび

津軽平野を見下ろす空は春らしく青くなってきたものの、まだまだ雪深く春は遠いと感じる日々。

季節の移ろいを感じるものは、
人によってそれぞれ違います。

肌で感じる温度、
日差しの強弱、
通り過ぎる風。

私の場合、
主に季節の移ろいに気づくのが、
空の青さです。

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春には春の、
夏には夏の、
秋には秋の、
冬には冬の、
空の色があって。

そのそれぞれの青さを見るたびに、
ああ、もうすぐ次の季節なんだと、
寂しさとともに見送るのです。

それでも、
津軽の冬は長く、
空の色だけ見れば春を感じても、
足元の雪はなかなか消えません。

ただ、それでも、
上を見れば春、
下を見れば冬という、
2つの季節が混在するあの時期が、
関東にいる今は、たまらなく懐かしく感じるのです。


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津軽百首(つららの雪当て)

軒先に 雪玉飛び交い 笑う声 つららの剣が 生まれし瞬間

のきさきに ゆきだまとびかい わらうこえ つららのけんが うまれししゅんかん

軒先にできたつららに、雪玉を当てて落とす子供達。
落ちても折れなかったつららを、氷の剣として誇らしげに持ち歩いている。

子供の頃、
冬の楽しみといえば、
雪の遊び。

雪合戦、
かまくら作り、
ミニスキーにソリ。

でも登下校の遊びといえば、
軒先のつららへの雪当てゲーム。

昔は今みたいに高い屋根じゃなかったので、
つららと屋根の境目を狙って雪玉を当てる。

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落ちたつららは折れるものもあれば、
折れずにそのまま綺麗な形のものも。

そのつららは、
氷の剣となって、
誇らしげに輝きを放つ。

どこの屋根のつららが大きいか、
どこを狙えば綺麗に落ちるのか、
休み時間に真剣に語り合ったあの思い出。

もう二度と戻らない時間だけれども、
つららを見るたびに鮮やかに蘇るのである。


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津軽百首(綿のお布団)

母の愛 寒くないよう 沢山の 綿を詰めては 娘を思ふ

ははのあい さむくないよう たくさんの わたをつめては むすめをおもう

嫁ぐ娘にもたせる布団には、津軽の冬も越せるように、たくさんの綿を詰めて寒くないように祈りながら作ります。

母方の祖母が、
嫁ぐ母にもたせたお布団。

綿がぎっしりつまった、
それはそれは重いお布団。

でも、母はそれを使うことなく、
ずっと押入れに大事にしまっていて。

私たちが上京するときに、
そのお布団を持たせてくれました。

そのままではさすがに使えないので、
ふとん屋さんに持っていき、
打ち直ししてもらおうとしたところ。

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「これはいい綿だね。雪国出身の人かな?
あっちでは、寒くないように綿をたくさん詰めて布団を作るんだよね。
母の愛だよね。大事に打ち直させてもらうよ。」

そう、布団職人さんに言われました。

祖母の愛が母へ、
その母から、私たち家族へ。

打ち直した布団は、
数年に一度、新たに綿を足して、
今でも使っています。

羽毛布団では味わえない、
重くてぎっしりとした暖かい布団。

今夜もぐっすり眠れそう。


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津軽百首(津軽の冬に 其の二・津軽弁)

しゅんしゅんど 薬缶コけっぱる 部屋の中 しんしん積もる 音コば聞いで

しゅんしゅんど やがんこけっぱる へやのなが しんしんつもる おどこばきいで

この歌は、津軽の冬(安田蝸牛さんからいただいて)の津軽弁バージョンです。

しゅんしゅんと鳴る薬缶の音と、しんしん積もる雪の音。

暖かい部屋の中では躍動感のある薬缶の蒸気が、寒い外ではしんしんと静寂の中ただただ積もる雪の音が。

「音」がメインとなっている短歌でしたので、「音コ(オドコ)」という言い方にしてみました。

「音」といえば、「しんしん積もる」のフレーズを、「のっさど積もる」にしようとも思ったのですが、そうしてしまうと元の短歌の良さが失われてしまう気がしまして。

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ちなみに「のっさど」は、なにか軽いもの(雪とか砂とか枯れ草とか)がたっぷりというイメージ。
「がっぱど」になると、「のっさど」のような軽さよりも、重さを感じるほどたくさんというイメージ。

私の「津軽の冬に(津軽弁)」で「がっぱど」を使っているのは、軽そうに見えても綿雪は水分を含んでいるので、つもり続ければ重くなる…という意味で使っています。

改めて、津軽弁にして短歌を詠み直してみると、さらに津軽の情景に近づく感じがします。

最近、少し更新ペースが落ちていますが、お時間のあるときにまた読んでいただけたら幸いです。

最後に、安田蝸牛さん、改めてありがとうございました!


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