津軽百首(津軽の冬に・津軽弁)

しゅんしゅんど 薬缶コけっぱる 音ばしで 綿雪がっぱど 積もっちゃあべな

しゅんしゅんど やがんこけっぱる おどばしで わだゆきがっぱど つもっちゃあべな

こちらは、津軽百首(津軽の冬に)の津軽弁バージョンです。
雪がたくさん積もる夜は、全ての音を雪が吸い込んでしまうので、外は恐ろしいほどに静か。だからこそ、ストーブの上の薬缶の音だけがせわしなく響いているという歌です。

こちらの短歌には、安田蝸牛さんから下の句をいただいた津軽の冬に(安田蝸牛さんからいただいて)があります。

下の句によって、随分と印象が変わるこの短歌。
同じ題材を詠んだのですが、安田蝸牛さんと私の短歌の違いについて考察を書いています。
※ぜひお時間がある時に読んでいただけたら幸いです。

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どちらも津軽弁で詠み直してみたところ、思った以上に言葉が全然違うことに驚きました。
近々、安田蝸牛さんの津軽弁バージョンも公開いたしますね。

標準語での世界と津軽弁での世界。
ますますおもしろいと思った今日この頃です。


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津軽百首(百万遍塔・津軽弁)

輪サなって でっけェ数珠サ 念仏コ 唱えデ歩グ 百万さまサ

わさなって でっけえじゅずさ ねんぶつこ となえであさぐ ひゃぐまんさまさ

こちらは、津軽百首(百万遍塔)の津軽弁バージョンの短歌です。
村のあちこちにある百万さま(百万遍塔)と呼ばれる石塔の前で、大きな数珠を広げ念仏を唱えながら回す様子を詠んでいます。

津軽百首を作るにあたり、
さまざまな津軽の風景を詠んできました。

その中で、
津軽の風景だけではなく、津軽弁があってこその津軽だと改めて感じることがあり、今までの短歌を津軽弁でも詠んでみたくなりました。

こちらはその第一弾となります。

比べられるように、元歌と津軽弁バージョンのどちらの記事内にも、それぞれのリンクを貼っておきます。
そして、わかりやすいように、イメージ画像は同じ写真を使わせていただきますね。

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今回の歌の津軽弁でわかりにくそうなところ。

「念仏コ」は念仏に「コ」をつけて語呂よく?する津軽弁独特の呼び方です。他にも「飴コ(キャンディー)」「めごコ(かわいい子)」など、さまざまなシチュエーションで使います。

「歩く」は「歩グ」と書いて、「あさぐ」と読みます。

カタカナの場所は、津軽弁の発音だったりするので、ちょっと日本語は不自然かもしれませんが、その辺は解説を読んでいただけたらと思います。

津軽弁バージョンの津軽百首も、ぜひともよろしくお願いいたします。


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津軽百首(雪の酸ヶ湯温泉)

湯煙りに 湯治の人影 ぼんやりと 雪すら温む 酸ヶ湯温泉

ゆけむりに とうじのひとかげ ぼんやりと ゆきすらぬくむ すかゆおんせん

モウモウと煙る湯煙の中に、湯治に来た人影がぼんやりと見える。
その湯煙は雪すら温めているような、真冬の酸ヶ湯温泉。

雪深い津軽の中でも、
酸ヶ湯温泉の場所は豪雪と呼ぶに相応わしい場所。

冬になると、
どの場所がどのくらいの積雪なのかとニュースとなるのですが、
弘前よりも五所川原よりも、
圧倒的に青森の酸ヶ湯温泉の積雪が多いのです。

その理由として、
五所川原から以北だと地吹雪で雪が風に飛ばされてしまい、
弘前は岩木山のお膝元だからか、もともと積雪が少なめ。
風がそこまで強くない青森は、しんしんと雪が積もりやすい。

私は、五所川原近辺、弘前市、青森市と暮らしたことがありますが、
やはり積雪量は青森が1番多かったです。

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その青森市の八甲田山近くにある酸ヶ湯温泉は、
古くから湯治場で有名です。

もうもうとした湯けむりは、
壁となった雪すら暖かそうに見える勢いで。

あたりはむせ返るほどの硫黄の匂いで、
雪の白なのか、湯けむりの白なのか、とにかく景色が白い。
その白のなかに、薄墨のような人影がちらほら。

長く厳しい津軽の冬を癒し続けてきた酸ヶ湯温泉。
その歴史は、これからもずっと続いていくのです。


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津軽百首(手間取りの母・津軽弁)

手間取りで 家サ帰るの 夜サなる わらはんどだぢ もう寝でらベな

てまどりで いえさかえるの よるさなる わらはんどだぢ もうねでらべな

農作業の日雇いの仕事を終えれば、もうとっぷりと日がくれて夜になっている。子供達はもう眠っているだろうな。

私の実家は農家でした。

でも、祖父と父が自分の畑をやっている間、
母は手間取りという他の人の畑の手伝いをしていました。
(家事は祖母担当)

りんごの収穫時期ともなれば、
もともと日暮れが早いのもありますが、
市場に出荷するための作業も相まって、
母が帰ってくるのは大分遅くなってから。

その頃には私はもうすでに夢の中でしたが、
朝、また忙しそうに手間取りにいく母。

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大人になってから、
その頃のことを謝られたことがあります。

“本当に可愛くてずっとそばにいたかったけど、裕福じゃないから手間取りをしなきゃ生活できなかった。寝顔を見るたびに、明日も頑張ろうって思えた。さみしい思いをさせて本当にごめんね。”

「寂しさはあったけど、母の仕事場の畑に遊びにいったり、お手伝いをしたりと、色々学んだことも多くて楽しかった」

と伝えた時、母はとてもほっとした表情になったことを今も思い出します。

そのリンゴ畑もすでに更地になり、あの頃の笑い声はもう記憶の中にあるばかり。
その思い出と景色こそが、月日の流れというものを、時間は決して止まることはないという現実を、まざまざと感じさせるのです。


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津軽百首(立佞武多)

津軽野の 暑気を払うは 立佞武多 歌い踊れや 勇猛なれと

つがるのの しゃきをはらうは たちねぷた うたいおどれや ゆうもうなれと

奥津軽のねぷたと言えば「立佞武多」。
短くとも暑い夏に負けないように、歌い踊りながら街を練り歩く。

立佞武多と言えば、
「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」の掛け声とともに、
高さ20メートル前後の巨大な山車が街を練り歩きます。

テーマソングは、青森を代表する歌手「吉幾三」の「立佞武多」です。
この時期、店内に入ると必ず聴こえてくる歌なので、
もはや奥津軽の人で知らない人はいないんじゃないかというくらい。

この歌が流れ始めると、ああ夏だなぁと感じる位です。
(きっと奥津軽に住む方ならわかっていただけるかと)

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この立佞武多は、
実は1998年におよそ80年ぶりに再開された祭りで、
今は奥津軽の夏の祭りとして欠かせないものになっています。

毎年、最も暑いと言われる8月の上旬に行われる「立佞武多祭り」は、
津軽の短い夏を思う存分楽しませてくれます。

青森ねぶた、弘前ねぷた、そして、五所川原の立佞武多。
短い青森の夏は、それぞれの場所、それぞれの祭りで盛り上がります。


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