津軽百首(宵の岩木山)

神さぶる 岩木の山は 二藍の 被衣かぶりて 宵を待つらむ

かみさぶる いわきのやまは ふたあいの かつぎかぶりて よいをまつらむ

神々しい岩木山は、二藍色の被衣かぶりながら、夜を待っているのでしょう。

被衣 (かつぎ)は、
女性が顔を見せないようにするために頭からかぶる衣のことです。

岩木山の神様は、
女性といわれています。

津軽富士と呼ばれるくらい美しく、
見る方面によって、
女性の横顔にも見えるといわれています。

私のふるさとである鶴田町は、
ちょうどこの横顔の岩木山が見える場所。

農作業をするときも、
学校に通う時も、
会社に向かう時も、
どんな時も。

岩木山は、
常にそこにあって、
心のよりどころになっています。

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もともと、
雪深い津軽には、
極端に高い建物は存在しません。

雪が積もったときの、
落雪の危険性や、
屋根の雪下ろし問題などもあるからです。

だからこそ、
どこまでも見通しが良く、
その広い平野に岩木山があります。

日が落ちて、
夜になる前の宵のひととき。

岩木山の神様は、
二藍色の被衣をかぶり、
夜を待つのでしょう。

それほどまでに、
この時間の岩木山は美しいのです。


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流星のあと

流星を 見ずに眠りし 吾子は見る 凍てつく朝の 星のかけらを

りゅうせいを みずにねむりし あこはみる いてつくあさの ほしのかけらを

流星群を見ないまま眠ってしまった我が子。凍てつくような朝、まるで流星のかけらのような霜柱を見つけて、本物の流星に思いを馳せる。

昨日は流星群でした。

ピークが午前2時ごろからということと、
ものすごく寒かったこともあり、
今回はあきらめて寝かしつけたのですが。

残念な気持ちが残りつつ、
朝の準備を終え、
お友達と合流した通学路。

畑の土が白く光っている。

「これ、霜柱だよ。土の中のお水が凍って出てきたの。」
「えー!そうなんだ!」

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今季初の霜柱に、
娘もお友達も大興奮。

もしかしたら。

昨日、見ることができなかった子供たちへの、
流星のプレゼントなのかも。

暖かくなれば、
溶けて消えてしまう。

霜柱も、流星も。
儚いからこそ美しい。

姿は消えても、
ずっと心に残り続ける。


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透き通る空

澄み渡る 青は広がり 曇りなき 輝きを増す ガラスのやうに

すみわたる あおはひろがり くもりなき かがやきをます がらすのように

冬の空はどこまでも青く広がっていて、それはまるで、磨かれたガラスのように輝いて見える。

冬の空は、
どこまでも青く広がる。

凛として冷たい空気は、
ギラギラした真夏と違い、
どこか背筋を伸ばすような緊張感。

葉のない枝は、
吹き抜ける風を通し、
青い空を磨き上げる。

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だからこそ、
冬の空はガラスのように、
冷たく輝いているのだろう。

どこまでも、
どこまでも広がる空。

冬至までもうすぐ。

本格的な冬は、
まだ始まったばかり。


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津軽百首(鏡餅作り)

正月の 餅を丸めて 暮れ行けば 白に染まるる 津軽の冬よ

しょうがつの もちをまるめて くれゆけば しろにそまるる つがるのふゆよ

お正月用の鏡餅を丸めて作る頃には、津軽は雪も深くすべてが白に染まる世界に変わっている。

私の実家では、
鏡餅はいつも手作りでした。

あまりにも早く作りすぎるとカビがはえるので、作るのは大みそかの前日。

祖母と母、そして私と、
女三人がつきあがった餅を丸めます。

つきたてのお餅は、
それはそれは熱くて火傷しそうなほど。

粉をまいて、
でも粉をつけすぎるとひび割れるので、
気を付けながら作っていく。

鏡餅は神様へ備えるもの。

幼いながらに、
楽しさよりも緊張して作っていました。

鏡餅が作り終わったら、
いよいよおせち作り。

とはいえ、
青森は大みそかにお膳としてみんなで食べるので、
年末は大忙し。

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紅白歌合戦が始まるころには、
みんなで座って、
大人はお屠蘇、子供はジュースで食べ始める。

お膳は一年に一度、
この時だけ出されるもの。

特別感が満載で、
兄と二人でわいわいがやがや。
父は祖父と静かに酒を酌み交わす。

祖母は大好物の数の子を食べられるし、
母もやり終えた解放感でほっとするのか、
みんなうれしそうな顔で年越し。

もう遠い昔のはずなのに、
今でも、
12月になると思い出す。

青森の風習。
伝えていかないとと思いつつも、
なかなかお膳を買って作るということまでいかず。

せめて、
今年は甘納豆で作る甘いお赤飯を作ろうかな。
いや、紅ショウガの甘いお稲荷さんかな。

そんなことを考えながら、
今年の年末をどう過ごすか考え中の今日この頃です。



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