枯れる向日葵

朽ちるほど 首を垂れる 向日葵や 秋風に揺れ 静かに眠れ

くちるほど こうべをたれる ひまわりや あきかぜにゆれ しずかにねむれ

夏の暑さが懐かしく感じる頃には、向日葵の花はもう枯れて眠るように秋風に揺れている。

夏の強い日差しに、
まっすぐと立ち向かう向日葵。

葉は大きく張り、
花も大きく鮮やかに咲く。

それはまさに、
人生を謳歌するかのように、
溌剌としたさわやかさ。

そして、
いつしか季節が変わり。

暑さは遠くなり、
寒さが近くなる。

あの向日葵は、
枯れていく。

水分のない葉は、
カラカラと秋風に揺れ。

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太陽に向かう大輪の花は、
今は大地を眺めるのみ。

でもそれは、
悲しいわけじゃない。

たくさんの種が、
土に落ちたから。

冬の寒さを越え、
春が来たら芽吹くように、
ずっと見守っていたいから。

枯れた向日葵は、
慈しみにあふれている。

年老いたものだけが持つ、
清らかで美しい真実の姿。

どうか、
秋の日差しに包まれて、
安らかな眠りを。


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川の流れに

滔滔と 流るる川は ただ流る 時の流れに 寄り添うやうに

とうとうと ながるるかわは ただながる ときのながれに よりそうように

緩やかに流れる川は、ただ流れていく。まるで、戻ることができない時間に寄り添うように、ただただ流れていく。

ゆるやかに流れていく川。

多少の緩急の差はあれど、
ただただ流れていく。

時の流れもまた同じ。
二度と戻ることはない。

思えば、
この世に戻れるものは何もない。

川の流れも、
時の流れも、
命でさえも。

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戻ることはできないが、
巡ることはできる。

春が来て夏が来るように、
夜が明け朝になるように、
この水がいつか雲になるように。

季節の名こそ同じではあるが、
同じ季節は二度とない。

この世は前に進むのみ。
戻ることは理に反すること。

すべては時の流れに寄り添うように。
前を向き、
歩み続けよう。


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読書の秋

見開いた 活字の海は 秋の夜に 我を誘う さあ漕ぎ出でな

みひらいた かつじのうみは あきのよに われをいざなう さあこぎいでな

静かな秋の夜。久々に開いた本は、まるで手招いてるかのように私を誘う。こんな時は集中して本の世界に没頭しよう。

静かな秋の夜。

スマホもテレビも、
音楽さえも消した部屋。

ただ、静けさだけが満ちている。

こんな秋の夜は、
やはり読書が一番いい。

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ページを開くと、
そこは活字の海。

この字に意味があり、
この字が物語を表している。

読書だけの夜もいい。

さあ、
活字の海へ漕ぎ出そう。


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朝の挨拶

「おはよう」と笑顔で言えば「おはよう」と返す子たちの笑顔に癒され

おはようと えがおでいえば おはようと かえすこたちの えがおにいやされ

朝の登校時に「おはよう」と声をかけると、「おはよう」と返してくれる娘の友達。
元気な挨拶と笑顔に、とてつもなく癒される今日この頃。

今日からまた一週間がはじまりますね。

「おはよう」と笑顔で声をかけると、
にっこり笑顔で「おはよう」と返してくれる子供たち。

大きくなるにつれ、
挨拶が恥ずかしくなったり、
照れくさくなったり、
だるくなったりするのだろうけども。

それでも、
元気な「おはよう」は、
心を癒してくれる。

憂鬱な朝も、
ちょっぴりマシになるような。

挨拶をして、
挨拶をされなかったら、
それはそれで悲しいかもしれないけれど。

挨拶をしない方が、
なんとなくモヤモヤするから、
積極的に挨拶をしていく。

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私が「おはよう」と伝えたいのだから、
相手の反応まで求めるのは違う。

でも、
相手も「おはよう」って言ってくれたら、
それだけで癒される。

大人たちが元気に挨拶できる社会。
個人主義だからこそ、
今となっては難しいのかもしれないけれど。

いつか、
この子たちが大人になったとき、
そんな社会になっていればいいなと思う。

挨拶は心を元気にしてくれる。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」
どれも、とっても素敵な言葉。

せっかく素敵な言葉を覚えたのだから、
積極的に使っていこう。

今日も一日、
はりきって頑張ろう。


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津軽百首(戒めの言葉)

人ならば 人の世界を 歩むべし 畜生道に 落ちてはならぬ

ひとならば ひとのせかいを あゆむべし ちくしょうどうに おちてはならぬ

人として生まれたのであれば、人としての道を踏み外さぬように生きるべきである。

青森には、
実にさまざまな神社仏閣があります。

東京に来てまず思ったのは、
神社もお寺もなんだか親しみやすいこと。
それは、参拝客が多いからかもしれません。

ほんわかして、
優しく包み込んでくれる感じが、
すごくすごく好きです。

青森にある神社仏閣は、
大体が静けさに包まれていて、
ピシッとした厳しさがあります。

なんというか、
軽い気持ちや浮ついた気持ちで行くと、
冷や水を浴びせられるような雰囲気といいますか…。

神様も仏様も信じる家庭が多い津軽。
昔は、神棚も仏壇もある家がほとんどでした。

今日の短歌は、
両親や祖父母をはじめ、
神主さんや和尚さん、近所のおじいちゃんたちに、
いつも言われていた言葉です。

以下の言葉は、
私の心の中にいつも戒めの言葉としてあるものです。

人間として、
恥ずかしくない生き方をしなさい。

自分の欲に目がくらんで、
人をだましたり、
人を傷つけたり、
物を盗んだりするのは、
畜生(獣たち)がすること。

そんなことをしていると、
人間として生きていられなくなる。

生きているときはよくても、
地獄に行くことになる。

人から盗んだりだまして奪ったお金や物は、
必ず不幸をつれてくる。

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自分に不幸がこなかったとしても、
自分の大切な人たちにふりかかる。

それは、
だまされたり奪われたりした人の怨念が、
染みついて消えずに残っているから。

だから、いつでも、
誇れる生き方をしなさい。

人に優しくしなさい。
物を大切にしなさい。
感謝の気持ちを常に持ちなさい。

貧乏は恥ではない。
心が貧しいことが恥なのだ。

どんなに苦しくても辛くても、
人としての心をなくしてはいけない。
人としての道を踏み外してはいけない。

それが、人として生まれた意味。
だから辛い時こそ負けないで踏ん張るとき。

道を踏み外さなければ、
必ず道は開けるもの。

辛さや苦しさを乗り越えれば、
必ず人として成長する。

人生は修行の一部。
どんなことにも意味がある。

その意味から、
逃げたり目をそらしたりしてはいけない。

いくら逃げても、
乗り越えるまでは何度でも繰り返される。

むしろ、
逃げるたびに難易度が増していく。

人の命は有限である。

だからこそ、
己の時間と向き合い、
日々を大切に生きるべし。


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