津軽百首(ホッケの飯寿し 其の三)

津軽野に 春来たるらし 晴れの日の 風よふけふけ ホッケ乾かせ

つがるのに はるきたるらし はれのひの かぜよふけふけ ほっけかわかせ

津軽野にもやっと春がきたらしく晴れの日が続いている。
通り過ぎる風よ、もっと吹いてホッケを乾かしておくれ。

ホッケの飯寿しの作り方シリーズです。
シリーズの流れは以下のリンクからご覧ください。

津軽百首(ホッケの飯寿し 其の一)
津軽百首(ホッケの飯寿し 其の二)

雪はまだ残るものの、春めいて晴れの日が続くようになれば、ホッケを干すのに最適な季節。

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ホッケは雨に当たるとカビてしまうので、雨の日は急いで取り込まなければいけません。
だからこそ、晴れの日が続く、春はホッケを干すのに適しています。

およそ一ヶ月もの間干し続けたホッケは、水分がすっかり抜けてカチコチになります。

キラキラとした春の日差しの中、強い風が吹いてホッケが乾燥したら、いよいよ大きな樽につける準備ができました。

天気と睨めっこしつつ、猫や鳥にも気を付けながら、津軽野を通り抜ける風を受けてホッケは旨味を凝縮していくのです。


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津軽百首(ホッケの飯寿し 其の二)

下処理が 済みしホッケを ザァブザァブと 小雪降る中 タライで洗ふ

したしょりが すみしほっけを ざぶざぶと こゆきふるなか たらいであらう

下処理をしたホッケは、大きなタライに入れてザブザブと洗って汚れを落とす。

津軽百首(ホッケの飯寿し 其の一)の続きの短歌となっています。

木箱に入ったホッケを、春になったものの小雪が降る中、下処理をしていくという作業。

台所でやるには量が多すぎるので、大体、どの家庭も外で大きなタライとザルを準備して行います。

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手際良くした処理されていくホッケ。
頭と内臓をとり、後で天日干ししやすいように尻尾を繋げたまま二枚に下ろしていきます。

その後、大きなタライにホースで水を入れ、じゃぶじゃぶと洗ってきれいになったホッケは、これまた大きなザルにどんどんと積み上げられていきます。

全部洗い終わったら、塩水につけて、あとは干すだけ。

ホッケの飯寿し作りは、時間をじっくりかけて作られるのです。


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津軽百首(ホッケの飯寿し 其の一)

店の前 足を止めるは 箱ホッケ 二箱買ひて 家路へ向かふ

みせのまえ あしをとめるは はこほっけ ふたはこかいて いえじへむかう

店の前には、春先ならではの木箱に詰まったホッケが積まれている。二箱買って家に向かおう。

これは、私の祖母の視点で詠んだ短歌で、「ホッケの飯寿し」の作り方です。

その昔、雪深い津軽では、冬になると新鮮な魚はなかなか手に入りませんでした。

だからこそ、春先になりホッケが出回るようになると「ホッケの飯寿し」というものが作られます。
簡単に説明をすると、干したホッケを大きな樽に入れ、細切りにしたニンジンと生姜を加えて、米麹でつけるものです。

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これは、とても塩辛くて、おまけに酸っぱくて、一口食べるとご飯がたくさん食べられるという、いかにも津軽人好みの味。

私の祖父母は、アルミホイルに包んでストーブの上で焼いたものが好きでした。
ちなみに、焼くとさらに塩辛さが増します。

今でも、道の駅や津軽のスーパーで冬になると見かけます。
津軽の郷土料理のひとつです。


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人知れぬ冬の森

人知れぬ 森を守りて そびえ立つ 雪纏う木よ 寒くはないか

ひとしれぬ もりをまもりて そびえたつ ゆきまとうきよ さむくはないか

雪を纏いながらそびえ立つ木よ、森を守るためとはいえ寒くはないのだろうか。

森の奥深くには、
未だ人の目に触れてはならない世界がある。

葉が全て落ちてしまう冬は、
森の奥深くまで見えてしまうかもしれない。

だからこそ、
森を守りし木々は、
雪を纏ってそびえ立つ。

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どれだけ冷たくても、
どれだけ辛くても、
その森を守るがためにそびえ立つ。

雪が溶け、
葉が茂り、
森の奥深くを隠すまで。

その時がくるまで、
ただひっそりと待ち続ける。


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津軽百首(斜陽館)

オレンヂの 光に染まる 斜陽館 太宰の心 今も伝へし

おれんじの ひかりにそまる しゃようかん だざいのこころ いまもつたえし

オレンジ色の夕暮れに染まる斜陽館。
幼少の頃の太宰治は、この夕日をどうみていたのだろうか。

津軽の作家と言えば「太宰治」。
斜陽館は、その太宰治の生家であり、
幼少時代を過ごした場所です。

場所は、青森県五所川原市金木町(旧・青森県北津軽郡金木町)

私の祖父が、金木町出身ということもあり、お花見の時期は芦野公園に桜を見に行ったものです。

高校の頃に、父から太宰治の小説「津軽」を手渡され読んだのですが、その当時はあまり印象に残らなかった気がします。

それは、まだ津軽から出たこともなければ、社会に出たこともない子供だったからかもしれません。

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最近、改めて「津軽」を読み直してみたのですが、あの頃と違って、とても心に響きました。

太宰治の津軽への愛が、痛いほど伝わるのです。

見栄っ張りで、強情で、不器用で、素直なじゃなくて、誤解されやすい。
それでいて、変なところで情が熱くて憎めない。

ああ、そうだよね、だから父は「津軽」を勧めてくれたんだね、と。

娘にとっての「津軽」は、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこたちがいる楽しい場所。
いつか、大人になったら、私も父がそうしてくれたように、太宰治の「津軽」を手渡してみようと思います。


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