津軽百首(祖父の教え)

「風止めば 雨が降るぞ」と 言ふ祖父の 声は消えゆく 津軽の空に

かぜやめば あめがふるぞと いうそふの こえはきえゆく つがるのそらに

農作業の合間、ポツリと「風が止むと雨が降るんだよ」と教えてくれた祖父。その声をかき消すかのように、風が止んだ空から雨が降り始める。

農作業は、天候に左右される。

雨が降る前に終わらせなければいけない作業、
雨が降った後にやらなければいけない作業。

それぞれを見極めながら、
今、その作物にとって必要なことをする。

雨が降りそうな、
でも、まだ降るほどでもないような空。

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そんなとき、祖父がつぶやく。

「風がやめば、雨が降る。だから、もうそろそろ片付けて帰ろう。」

その言葉通り、
風が止んだと思ったらポツリポツリと雨が。

本降りになる前に片付けて帰ろう。
そして、雨の恵みに感謝しながら、明日の作業を考えよう。


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津軽百首(田植えを終えて)

津軽野の 田植え終わりて 吹く風は 麦わら揺らし 夏を呼び込む

つがるのの たうえおわりて ふくかぜは むぎわらゆらし なつをよびこむ

田植えの時期が終わると、津軽平野は緑一面になる。
吹き抜ける風は、農作業をする人の麦わら帽子を揺らしながら、夏を呼びに行っているのだろう。

長い長い冬が終わり、
春の暖かさが当たり前の日々が続くようになると、
津軽は田植えの時期に入る。

隣近所が力を合わせ、
当番制でそれぞれの田んぼに苗を植えていく。

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田植えが終われば、
津軽平野は絨毯を敷いたような緑一色になる。

その緑の絨毯がさやさやと風にそよぎ、
苗の成長とともに、それはまるで波のように大きくなっていく。

農作業をする人々の麦わら帽子を揺らす風は、
涼をもたらしながら、
きっと夏を迎えに行っているのだろう。


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津軽百首(年の瀬に賑わう町)

再会の 人であふれる 年の瀬に 雪すら踊る 津軽の里よ

さいかいの ひとであふれる としのせに ゆきすらおどる つがるのさとよ

年末に帰省する人々であふれる津軽の里は、吹きすさぶ雪すら踊っているように見えるほど、賑やかなものである。

いつもであれば、
こんなに雪が降る日は静かなもの。

降りつもる雪は音を吸い込み、
白一色の町並みはまるで息をひそめているよう。

でも、そんな雪すら音をかき消せないのが、
年の瀬の津軽の里。

再会を喜ぶ声に、
溢れるばかりの笑顔。

賑わう街並みに降る雪は、
音を吸い込むどころか、まるで踊っているかのよう。

静かな里が賑わう年の瀬。
ゆく年への感謝と、くる年への期待。

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来年もまた、皆で集まれることを祈りながら、
津軽の里の夜は更けていきます。

—————————————————————-

今年も一年、
作品を読んでくださってありがとうございました。

書きためた短歌もまだ数首あるのですが、
とりあえずはこれが今年最後の更新となります。

みなさまがよいお年を送れますよう、
心よりお祈り申し上げます。


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津軽百首(川倉賽の河原)

亡き人の 御霊眠りし 川倉の 賽の河原で 後世を祈りて

なきひとの みたまねむりし かわくらの さいのかわらで ごせをいのりて

亡くなった人が来世で幸せに暮らせるように、静寂の中、川倉賽の河原地蔵尊で祈りを捧げる。

津軽の霊場といえば、
五所川原市金木町にある川倉賽の河原地蔵尊。

ここは、
津軽の地で眠る人々を祀る場所。

およそ二千体ものお地蔵さまが祀られ、
生前使われていた愛用品も一緒に眠っている場所です。

津軽の文化はどこか仄暗さを感じますが、
ここはその中でも一番と言えるかもしれません。

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悲しみと祈りが行き交う場所。
現世と黄泉の国の狭間。

「死」というものを受け入れ、
「来世」という存在を信じているからこそ、
亡き人が来世で幸せになれるように、
不遇の死を遂げた人が荒魂にならないよう祈りを捧げるのです。

今、私たちがいるのは、ご先祖さまがいるからこそ。
そして、いつかは必ず訪れる「死」という現実。
この二つをまざまざと感じられる場所が、川倉賽の河原地蔵尊です。

今年のお盆は、祖母にとっての初盆。
ですが、諸事情により残念ながら帰省出来ず。

せめて、遠く離れたこの地で、
初盆を迎える祖母と、
寡黙で優しかった祖父を偲ぼうと思います。


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津軽百首(冬の情景)

冬枯れの 津軽の里に 雪は降り 根雪となりて 山も眠れり

ふゆがれの つがるのさとに ゆきはふり ねゆきとなりて やまもねむれり

冬が訪れてもの寂しい津軽の里に降り始めた雪は、いつしか根雪となって山を覆い尽くし、その雪に包まれた山はひっそりと眠りにつくのでしょう。

(※安田蝸牛さんに下の句をいただきました、ありがとうございました!)

農作物の収穫が終わると、
津軽の里は驚くほど静かになります。

枯れ草に枯れ枝、
剥き出しの大地に吹きすさぶ風。

物悲しさすら感じるその景色を覆うように、
音もないままにゆっくりと。

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でも、確実に、
雪は降り積もっていきます。

何度か降っては消え、
根雪となる頃、
厳しい寒さと長い冬との戦いが始まります。

そんな中、
根雪に包まれた山は、
ひっそりと眠りにつくのです。

春になり、
また大地が芽むぐ頃まで、
静かに眠りつづける山。

その山の見る夢は、
一体どんな夢なのでしょうか。


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