津軽百首(出稼ぎに行く父)

出稼ぎサ 行ぐ父見送る 童コは 寂しぐねんだと 涙コ堪え

でかせぎさ いぐちちみおくる わらしこは さみしぐねんだと なみだここらえ

秋の収穫が終わると父が出稼ぎに行く時期になります。
幼心に、泣いてはいけないと涙を堪えて見送っていました。

賑やかな秋の収穫が終わり、
田んぼも畑ももの寂しくなる頃、
父親が出稼ぎに行きます。

ちょうどその頃に雪が降りはじめるので、
雪は別れの季節でした。

幼心に、

泣いてはいけない。
寂しがってはいけない。

と思っていた私は、

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「なんも寂しぐねぇもん」

そう言ってそっぽを向いて。

次に振り向いたころには、
父の背中が雪にまみれて遠くに。

流さない涙があって、
泣いている心があって。

津軽の冬は寂しく深く、
雪に閉ざされていくのです。

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津軽百首(弘前ねぷたの夜に)

夏盛り ねぷた囃子が 響く夜 武者絵に潜む 鬨の声さえ

なつさかり ねぷたはやしが ひびくよる むしゃえにひそむ ときのこえさえ

津軽の短く暑い夜空に、ねぷた囃子が鳴り響いている。
市内を練り歩くねぷたの武者絵からは、鬨の声さえ聞こえるように思える。

(※安田蝸牛さんから、下の句をいただきました!ご協力ありがとうございました。)

津軽の夏は短い。
お盆を過ぎると、めっきり朝晩が涼しくなる。

そのお盆前に行われるのが、ねぷたまつり。

武者絵が描かれたねぷたは、
「ヤーヤドー」の掛け声とともに、市内を練り歩く。

沿道には数えきれないほどの人だかり。
屋台はどこもにぎわっている。

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熱気で空がほの白く見えるくらい、
どこもかしこも独特の熱を持っている。

そんな視線を一身に浴びて、
ねぷたはゆっくりと前に進む。

その武者絵の中からは、
鬨の声さえ聞こえるかのよう。

暑い暑い夏。
色濃く深い津軽の夏。

にぎやかな祭りの音は、
夏の夜空に、いつまでも鳴り響いていく。

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津軽百首(晴れた冬の夜)

雪積もり 星渡る夜は 藍をとき 津軽の里は 青に染まるる

ゆきつもり ほしわたるよは あいをとき つがるのさとは あおにそまるる

雪が止んで星がよく見える夜は、空の藍色をとかしたかのように、津軽の里が青に染まる。

雪に閉ざされた津軽の冬。
とはいえ、春になるまでずっと雪が降るわけではない。

吹雪が止んで、
雲一つないほど晴れわたる夜も、
ほんのわずかだが存在する。

そんな夜は、
漆黒の空は雪の白さを受けて藍色に、
真っ白な雪は空の藍色を受けて青色に染まる。

一面、青の世界。
まるで絵本のように美しい夜。

耳を澄ませば、
キシキシと降り積もった雪がまた凍る音が聴こえる。

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晴れた夜はとびきり冷える。
その寒さすら心地よく感じるほど、美しい。

凛とした空気の中で、
津軽の里は青色に包まれていく。

※安田蝸牛さんのアドバイスを参考に作らせていただきました。
ご協力ありがとうございました!

 

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津軽百首(りんごが実る頃)

悠々と 腰曲がりたる 老木の 枝に実りし 津軽の林檎

ゆうゆうと こしまがりたる ろうぼくの えだにみのりし つがるのりんご

どっしりとした老木が居並ぶ津軽のリンゴ畑。秋になり、その古いリンゴの木には、たわわにりんごが実っている。

青森と言えばりんご。
その中でも、りんごと言えば津軽。

そのくらい、
津軽にとってのりんご畑はなじみの深いもの。

秋になり、たわわに実る赤いリンゴは、
一種のイルミネーションのように、
かわいらしく日に照らされている。

今でこそ、Y字仕立てのりんごの木が主流ですが、
昔は横に広がる剪定をしていたので、
幹はどっしりとし、
この季節になると、
まさにたわわに赤いりんごを実らせます。

その下で、
ほっかむりをした農作業のおじさんやおばさんが、
3時のおやつを広げ、
ラジオをかけながら談笑しています。

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その傍らには、
青いカゴに入れられたもぎたてのりんごたち。

津軽の秋はとても活気にあふれていて、
りんご畑はとてもにぎやかです。

 

 

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津軽の冬(安田蝸牛さんからいただいて)

しゅんしゅんと 薬缶息まく 奥津軽 しんしん積もる 雪の声聞く

しゅんしゅんと やかんいきまく おくつがる しんしんつもる ゆきのこえきく

奥津軽の冬は厳しい。暖かい部屋の中ではしゅんしゅんと薬缶の蒸気、凍てつく外ではしんしんと雪がふりつもっている。

津軽百首で詠んだ「津軽の冬」に、
安田蝸牛さんから新しい見方をいただいたので、
考察とともに公開させていただきます。

まず、先日公開した「津軽の冬」と相違は、

「しゅんしゅんと薬缶息まく奥津軽 しんしん積もる雪は重なり(ふじこ)」
「しゅんしゅんと薬缶息まく奥津軽 しんしん積もる雪の声聞く(安田蝸牛さん)」

です。

この最後の部分の違いについて、
考察を書いていきます。

まず、最後の部分が「雪は重なり」の場合、
「しゅんしゅんと」「しんしん」という音の情景から、窓の外の景色へいざなっています。

これは、雪国出身の方なら共感いただけると思うのですが、
「薬缶の音が響くくらい静かなので、きっと雪が降り積もっているのだろうという予測です。降り積もる雪が全ての音を吸い込んでしまうので、薬缶の音が響くということは、必然的に外が静寂である(=雪が降っている)という前提条件のもとに詠んだ歌になります。

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それに対して、最後の部分が「雪の声聞く」になりますと、
「しゅんしゅんと」「しんしん」という音の情景をより際立たせる描写になります。

雪国出身者の前提条件である「雪が降る=静寂」がなくとも、
薬缶の蒸気の勢いと、外の静寂さの対比が浮かぶ歌となります。
また、ずっと「音」に注目し続けることで世界がぶれないですし、先ほどの歌とは全く違った視点になります。

どちらの首が優れているか、とかではなくて、
どちらも津軽の冬を詠んだ首で、二つの見方で楽しんでいただけたらと思います。

それにしても、最後の部分でここまで意味が変わるとは、
まったくもって言葉は深いものですね。

今回、掲載を許可してくださった安田蝸牛さんに改めて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!

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