懐かしい時間

夕暮れに 笑う子の声 終わりなき 遠い記憶に 思いを馳せる

ゆうぐれに わらうこのこえ おわりなき とおいきおくに おもいをはせる

夕暮れ時、友達と笑いあう子の声は終わりなく続き、昔の自分もこうだったなぁと懐かしい気持ちになる。

今日は、
幼稚園帰りに、
娘の友達のお庭で遊びました。

かくれんぼ。
おにごっこ。
だるまさんがころんだ。
砂遊びならぬ石遊び。

まだまだ暑いのに、
やはり秋の気配は近づいて。

夕暮れのころには、
吹く風が涼しくなり、
心地よい気持ちに。

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ママ友さんと、
「昔こうやって遊んだよね」と、
しみじみ語り合う幸せな時間。

私の子供のころとは、
時代は大分変わったけれど。

それでも、
こうして子供の遊ぶ声と嬉しそうな顔は変わらない。

あの時の自分も、
こうやって見守られていたのかな。

そんなことをふと思う、
ありがたい日常のひとときでした。


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津軽百首(米に宿る神)

「一粒の 米には八十八の神 忘れず食べよ」 祖父母の教え

ひとつぶの こめにははちじゅうはちのかみ わすれずたべよ だいちのめぐみ

「一粒の米には八十八の神様が宿っているのだから、感謝して食べなさい」と、今は亡き祖父母の言葉が思い出される。

一粒のお米には、
八十八の神様が宿っているんだよ。

漢字を見てごらん。

「八(はち)、十(じゅう)、八(はち)」で、
米という漢字になるでしょう。

だから、一粒も残さず、
ありがたく食べなきゃダメなんだよ。

いくらお金があっても、
いくら知識があっても、
たった一粒の米すら、
人間の力だけで育てられやしないのだから。

お日様と、
土と、
水があって、
初めて種を植えられるんだよ。

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そうして、
季節が過ぎてやっとお米ができるの。

だから、お米は神様からの贈り物。

大切に、
大切に感謝して食べるんだよ。

幼き頃、
言い聞かせるように、
何度も何度も繰り返された祖母の言葉。

戦後、
日本は豊かになり、
飽食の時代になって、
残すことが当たり前になりました。

でも、
これだけの技術をもってしても、
目の前に一億出されたとしても、
一粒の米が一日でできるはずがありません。

私たちが食べるお米は、
農家の方々に見守られながら、
およそ半年もの間、
大地ですくすくと育ったものです。

その一粒のありがたさを、
その一粒に込められた恵みを、
ありがたくいただきましょう。


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残暑の秋

まだ早い そう思いつつ 暮れる日の 早さに思う 秋の訪れ

まだはやい そうおもいつつ くれるひの はやさにおもう あきのおとずれ

日中の暑さを思えば、まだまだ残暑は続くと思いながらも、夕暮れの早さに秋の訪れをひしひしと感じる今日この頃。

まだまだ日中は35度越えの日々ですが。

それでも、夕暮れの早さに、
秋の訪れをひしひしと感じています。

新型コロナで気軽に出かけることもなくなり、
必要最小限のお出かけにとどめる日は今も続いていて。

その分、
家の掃除や断捨離、
おうちごはんの充実など、
随分とゆっくりとした時間の過ごし方になった気がします。

一日一日と、
季節が変わりゆく今。

まだまだ暑さは続きますが、
心はもう次の季節へと移っていて。

今年の秋冬は、
例年よりさらに家にこもると思うので、
いかに暖かく快適に過ごせるかを日々考えています。

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ホカホカの寝具も、
暖かいカーペットも洗濯をして準備万端。

長袖も数枚準備してるし、
いつ急に寒くなっても、
すぐに対応できるようにしました。

今年は、さらに断熱効果があるという、
カーテンライナーというものを買ってつけてみようかな。
掃き出し窓なので効果ありそう。

玄関からの風も冷たいので、
突っ張り棒を利用して廊下にもつけたいな。

なんとなく、
なんとなくだけど、
今年は秋が早いのかな?

まだ気が早いけど、
編み物も始めようかな。

秋が待ち遠しいと心から思う、
そんな午後でした。


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娘の涙に時が止まる朝

風船が しぼんじゃったと 泣く吾子を 抱きしめ諭し 時間は止まる

ふうせんが しぼんじゃったと なくあこを だきしめさとし じかんはとまる

「大切な風船がしぼんじゃった」と泣く娘を、抱きしめながら諭す朝。まるで、家の時間が止まったかのように静かになる。

朝、家事をしていると、
年長の娘が急に後ろから抱き着いてきた。

「どうしたの?なにかあった?」
「ううん、なんでもない…」

それでも、手を止めて娘の顔を見ると、
うっすらと目が赤く、泣いた痕。

とりあえず抱きしめて、
部屋を見回すと、
しぼんだ風船がポツンと床に置かれていた。

ああ、なるほど。

年長の娘が、
大好きなみんなの絵を描いた、
世界に一つだけの風船。

その風船が、
ゆっくりゆっくり小さくなり、
今朝、
一気にしぼんでしまった。

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「大丈夫、風船さんの中の空気は、風さんになって、いつもそばにいるんだよ」

娘の涙が止まるまで、
娘の悲しみが癒えるまで、
ゆっくりと諭しながら、背中ポンポン。

洗濯も干さないと、ごみも出さないと。
あれこれ思うけど、今はいいや。

慌ただしい朝の時間が、止まる。

いつか、娘も大人になって、
ひとりでしぼんだ風船を見ても泣かなくなる日が来る。

きっと、こんな時間は、もう二度とないのだから。

その後、落ち着いた娘は、
風船さんと一緒にテレビを見て元気に笑ってましたとさ。
めでたし、めでたし(笑)


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津軽百首(盆が終わり)

盆終わり 涼しき風の 夕暮れに 空を見やれば 秋の足音

ぼんおわり すずしきかぜの ゆうぐれに そらをみやれば あきのあしおと

お盆が終わり夕暮れの風が心地よく感じる頃、空を見上げれば、もうそこは真夏の空ではなく、秋がすぐそこまで近づいている。

津軽の夏は短い。
真夏のうだるような暑さも、もちろんあるけれども。

それでも、
お盆を過ぎると、
朝晩は一気に涼しくなる。

空は少し遠くなり、
風は少し冷たくなり、
夏の終わりを感じさせる。

特に、
夕暮れ時は、
日差しも寂しげに見え、
真夏の強く焼けるような日差しは、
もう見る影もない。

そして、
その寂しさこそが、
待ちに待った実りの秋を感じさせる。

収穫作業に忙しくなるけども、
黄金色に染まる田んぼ、
真っ赤なリンゴが実るリンゴ畑、
ススキに枯草、虫の声。

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大好きな秋が、すぐそこまで来ている。

久々に、津軽百首を詠んでみました。
津軽はお盆が過ぎるともう秋の気配になります。

夏が終わった寂しさもあるけれど、
何より、農家としては忙しく活気のある収穫時期。

津軽平野が黄金色に染まり、
その稲穂が夕暮れの光に輝いているさまは、
ただただ神々しく、
秋の実りを岩木山の神様に感謝するばかり。

厳しい冬に備える前の、
本当に短い秋の期間。

今でも、秋は一番大好きな季節です。


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