人というもの

風は風 吹き抜けるゆえ 風になり 人は人ゆえ 人になるらむ

かぜはかぜ ふきぬけるゆえ かぜになり ひとはひとゆえ ひとになるらむ

風は吹き抜けるからこそ風となりますが、人は人として生まれたからこそ人になるのでしょう。

風は風。
立ち止まらずに、
吹き抜けていくからこそ風となる。

人は人。
生まれたその日から、
人として生きねばなりません。

それが、
どれだけ苦しい道だったとしても。
そこに、
なんの意味を見出せなかったとしても。

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人として生まれた以上、
人としての心を忘れてはなりません。

人は人にしかなれないけれど、
人だからこそできることもある。

人の強さを、
人の清さを、
人の優しさを、
人の慈しみを、
日々忘れないように。

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津軽百首(初雪の頃)

冬枯れの 色なき里に 袖返し 岩木の神は 雪をふりつむ

ふゆがれの いろなきさとに そでかえし いわきのかみは ゆきをふりつむ

収穫が終わり疲れ果てた大地を癒すために、岩木の神が袖を翻し雪を降らせて津軽平野を守り眠らせるのでしょう。

収穫が終わり、
静けさと共に色をなくした津軽平野。

枯れ野となった大地は、
秋の実りを生み出した代償として、
息も絶え絶えになるほど疲弊している。

その疲れた大地を守るために、
岩木の神は袖を翻し、
雪を降らせる。

色なき枯れ野がだんだんと白くなり、
冷たい雪が降り積もるほどに清められていく。

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こうして、
疲れ果てた大地を眠らせているのだろう。

降り積もった雪は、
春になるまで溶けることなく、
ずっとずっと大地を守り続けている。

次の恵をもたらすために。
全ては、岩木の神の御心のもとに。

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寒がりな北風小僧

ガタガタと 「我を入れよ」と 主張する 寒がりなのか 北風小僧

がたがたと われをいれよと しゅちょうする さむがりなのか きたかぜこぞう

寒い冬の日、ガタガタと窓を揺らす風。おそらく寒がりだから家に入りたくて揺らしている北風小僧がやっていることなのでしょう。

晴れ渡っていても、
寒いものは寒い。

相変わらず、
雪がないのに寒いという冬に、
未だ戸惑い続けているのですが。

木枯らしと言う名の北風小僧が、
我が家の窓をガタガタ揺らしています。

枯葉を舞い踊らせ、
自由気ままに楽しそうに、
冷たい風を思うがままに操って。

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と、
なぜそれなのに、窓を揺らすのか。

きっとそれは、
実は北風小僧は寒がりで、
家に入りたいからなのかもしれない。

うん、そうかも。

強風で揺れる窓を怖がる娘に、
そんなことを話しながら、
少しでも風が弱まるといいなと思う、
秋深し一日。

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津軽百首(藁焼きをする父)

藁焼きの 風に倣いて 畔行けば 父の背見える 秋の夕暮れ

わらやきの かぜにならいて あぜゆけば ちちのせみえる あきのゆうぐれ

夕暮れ時、藁焼きの煙の先を辿りあぜ道を歩くと、煙の中に父の後ろ姿が見えてきます。

稲刈りが終わると、
津軽平野は藁焼きの季節。

秋晴れの日が続き、
風が強くない日が藁焼きの日となる。

風が強ければ、
火のついた藁が飛び危険。

一度でも雨が降ると、
数日は藁に火がつかないので延期。

こうして選んだ秋の一日。

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あちこちで焼かれる藁の煙で、
辺りは一面靄に包まれたようにぼんやり。

そんな中、
父を呼びに行くときは、
風上に向かってあぜ道を歩く。

藁焼きは、
風下から風上に向けて行われるので、
風の向きを知れば見つけやすい。

薄靄の先に、
藁の火が消えないよう、
空気を入れる父の背中が見える。

 

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娘との落ち葉拾い

幼子が 拾いし傍に また一枚 はらりと届く 秋のお便り

おさなごが ひろいしそばに またいちまい はらりととどく あきのおたより

公園で娘と一緒に落ち葉を拾っていると、娘が落ち葉を手にするたびにまた一枚そばに落ちてきます。次々と届くそれは、まるで娘へのお便りのようでした。

秋の公園は、とても魅力的。
赤や黄色の落ち葉に、どんぐりや枯れ枝。

幼子にとっては、
毎日通っても飽きないほど、
日々新しい遊びを見つけてくれます。

娘と落ち葉拾いの最中。

「あ、あったよ!ここにもあった!」

一枚、また一枚と、
綺麗な色の落ち葉を手にしていく娘。

そのそばに、
一枚、また一枚と、
空から舞い降りる落ち葉。

次々と届く落ち葉は、
まるで娘への秋のお便りのよう。

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二年前は、
この落ち葉を踏みしめて、
外歩きの練習。

一年前は、
落ち葉を両手いっぱい寄せ集めては、
楽しそうに空に放り投げて。

そして今年は、
どんぐりや小枝や落ち葉で、
顔を作ったり動物を作ったり。

来年は、もう幼稚園。
こうしてゆっくり毎日遊ぶのもあと半年もない。
娘には新しい世界が待っている。

だからこそ、
いっぱい秋を楽しもう。

そして、冬も楽しもう。

春が来て君が幼稚園に行くまで、
いっぱい、いっぱい遊ぼうね。

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