津軽百首(幻の十三湊)

哀しみの 砂と眠るは 十三湊 ひとり鷗よ 泣いてくれるな

かなしみの すなとねむるは とさみなと ひとりかもめよ ないてくれるな

かつて栄華を極めたと言われ、今は砂の中に眠る十三湊。
私と同じようにひとりでいる鷗よ、泣いてしまうから鳴かないでくれないか。

中世に栄えたと言われ、
歴史の砂にひっそりと眠る十三湊。

津軽史を調べていくうちに、
先人たちの歩んだ道の険しさを感じ、
言葉にならない思いでいっぱいです。

縄文時代は「北のまほろば」とも言われ、
穏やかに暮らしていたはずなのに。

文明の手が及ぶほどに、
どんどん暗く重い歴史の闇は深くなり、
自然に翻弄されながら耐え忍ぶ先人たち。

ああ。
どうして、これほどまでに悲しいのでしょうか。

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あの豊かな津軽平野一面の田んぼも、
多大なる犠牲の元に作られたと思うと、
たわわに実る稲は美しいはずなのに、
物悲しく見えてしまいます。

地吹雪がまるで人の泣き声のように聞こえるのは、
先人たちの心の声なのかもしれません。

忘れてはいけない。
そして、伝えていかなければいけない。

そんなことを思いながら、
また気持ちも新たに津軽百首に臨みたいと思います。

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津軽百首(托鉢する僧に)

枯ら声と 鈴の音重ぬ 尾花野に 坊の涙も なくぞなからむ

からごえと れいのねかさぬ をばなのに ばうのなみだも なくぞなからむ

しわがれた声に鈴の音を重ねすすきが揺れる野を歩く托鉢の僧よ、涙は流さないだろうか、いや流したはずだ。
※かれをばな(枯れ尾花)の折句です。

しわがれた声と対照的に、
空気を清めるような鈴の音。

冷たい風が吹くすすき野を、
ただ一人歩く托鉢僧よ。

修行とはいえ、
物悲しくはないのだろうか。

涙は流さないのだろうか。
いや、流さないはずはない。

それでも、
人々の功徳を積むために。

僧は一人、ただ歩いていく。

 

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私が幼い頃、
曽祖母の家に遊びに行ったときのこと。

托鉢僧が訪れ、
曽祖母がご飯を施し、
両手を合わせ頭を下げ、
とてもありがたそうにお経を聞いておりました。

ひ孫である私も一緒に、
「とてもありがたいことだから」と、
お経をききました。

その時はわからなかったのですが、
大人になり色々な経験をして、
修行とはいえ、
人々の功徳を積むために托鉢をする僧は、
きっと流さない涙もあったのだろうと。

またこの首は「かれをばな(枯れ尾花)」の折句となっています。
それぞれの頭文字をみると、「か れ を ば な」です。

最近は隙間時間を使って、あらためて和歌を勉強中です。
奥が深いと感じる今日この頃です。

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津軽百首(鶴の舞橋)

富士見湖の 水面にしづく 舞橋や いつぞ飛び立つ 田鶴にかはりて

ふじみこの みのもにしづく まいはしや いつぞとびたつ たづにかはりて

津軽富士見湖の湖面に映る鶴の舞橋よ、おまえはいつか鶴に姿を変えて飛び立つのだろうか。

青森県鶴田町にある津軽富士見湖。
そこに、鶴の舞橋と呼ばれる橋があります。

湖の湖面に映るその姿は、
鶴が羽を羽ばたかせているようにも見え、
とくに夕暮れの佇まいは、
筆舌しがたい美しさ。

春夏秋冬、
いづれの景色も美しく、
雄大な津軽を感じられる場所です。

美しいこの橋が、
いつか鶴に姿をかえて、
本当に飛び立つのではないか。

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そんなことを思わせてくれる、鶴の舞橋。

今は亡き祖父と、
母と祖母を軽自動車に乗せて、
免許取り立ての運転で行きました。

鶴田町は私が生まれ育ったところ。

今でもふと、
あの美しい夕暮れを思い出すのです。


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津軽百首(初雪の頃)

冬枯れの 色なき里に 袖返し 岩木の神は 雪をふりつむ

ふゆがれの いろなきさとに そでかえし いわきのかみは ゆきをふりつむ

収穫が終わり疲れ果てた大地を癒すために、岩木の神が袖を翻し雪を降らせて津軽平野を守り眠らせるのでしょう。

収穫が終わり、
静けさと共に色をなくした津軽平野。

枯れ野となった大地は、
秋の実りを生み出した代償として、
息も絶え絶えになるほど疲弊している。

その疲れた大地を守るために、
岩木の神は袖を翻し、
雪を降らせる。

色なき枯れ野がだんだんと白くなり、
冷たい雪が降り積もるほどに清められていく。

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こうして、
疲れ果てた大地を眠らせているのだろう。

降り積もった雪は、
春になるまで溶けることなく、
ずっとずっと大地を守り続けている。

次の恵をもたらすために。
全ては、岩木の神の御心のもとに。

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津軽百首(藁焼きをする父)

藁焼きの 風に倣いて 畔行けば 父の背見える 秋の夕暮れ

わらやきの かぜにならいて あぜゆけば ちちのせみえる あきのゆうぐれ

夕暮れ時、藁焼きの煙の先を辿りあぜ道を歩くと、煙の中に父の後ろ姿が見えてきます。

稲刈りが終わると、
津軽平野は藁焼きの季節。

秋晴れの日が続き、
風が強くない日が藁焼きの日となる。

風が強ければ、
火のついた藁が飛び危険。

一度でも雨が降ると、
数日は藁に火がつかないので延期。

こうして選んだ秋の一日。

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あちこちで焼かれる藁の煙で、
辺りは一面靄に包まれたようにぼんやり。

そんな中、
父を呼びに行くときは、
風上に向かってあぜ道を歩く。

藁焼きは、
風下から風上に向けて行われるので、
風の向きを知れば見つけやすい。

薄靄の先に、
藁の火が消えないよう、
空気を入れる父の背中が見える。

 

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