黄昏の 空にぞ人は 悲しみに 暮れてひそかな 星を夢見る
たそがれの そらにぞひとは かなしみに くれてひそかな ほしをゆめみる
黄昏の空に人は自分の悲しみを重ねるものなのでしょう。
それは、この後に来る夜の深さと、闇に染まらぬ星があることを知っているから。
![](https://tankaw.com/wp-content/uploads/2022/03/K1_S4664_TP_V4.jpg)
戦争のニュースが続いています。
当事者でない以上、
安易な考えで発言することは憚られますが、
人が人を傷つけることに、深い悲しみがあります。
しかしながら、
いくら言葉で話しても、
約束を破り、嘘をつくような国は、
話し合いでは成立しません。
話し合いというのは、
お互いの立場を尊重し、
決めたことを順守するという信頼のもとにできること。
約束を反故するような国とは、
いくら話し合いをしたところで、
行きつく先は武力で解決となってしまうのでしょう。
力と力では解決はしませんが、
力を持たなければ、ねじ伏せられてしまうのもまた事実。
話し合いをするステージに立つうえでも、
力を持つことは必要なのだと個人的には思います。
以前も書いたと思いますが、
祖父は第二次世界大戦でシベリア抑留の経験者でした。
祖父から聞いた話は悲しみにあふれていて、
亡くなった部隊の夢を見ることもあると。
あれだけ寡黙で、
自然と書と絵を愛した祖父の心の傷は、
想像することも憚られるほどの深さだったことでしょう。
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それでも。
「すべては終わったこと。
今が平和なら、それでいい。」
その祖父の言葉は、
幼い私の胸にずっと残っています。
悲しみを、苦しみを、痛みを、
それを過去とすることはどれほどつらいことだったでしょう。
でも、それでも、
暗い闇の中に光る星のように。
仄暗い感情の中にあっても、その良心が、
それこそが、人間として生きる道なのだと。
今は情報社会。
国と国の争いだけではなく、
個人の意見も意思も伝えられる世の中となりました。
昔のような大義名分という言葉は、
今の時代は真実以外では認められません。
だからこそ、
個々の良心が大きな光となることを願っています。
ただただ、一日も早く終結することを。
そして、戦火で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。