幼子の発熱

我が身より  愛しく思う  幼子の  熱い体を ただ抱きしめる

わがみより いとしくおもう おさなごの あついからだを ただだきしめる

自分の身よりも大切な我が子が熱を出している。その熱が少しでも和らぐように、冷やすのを嫌がる小さな体をただただ抱きしめている。

もともと丈夫な娘ですが、
一昨日、急に38度を超す高熱が。

翌朝、少し下がったものの、
一時間後にはまた38度台になったので、
急いで病院へ。

診断は、
喉に口内炎ができていて、
それから発熱しているのだろうとのこと。

処方箋をもらい、
アイスとゆでうどんとプリンを買い、
家に帰ったものの。

とにかく口内炎が痛むようで、
ずっと「おくちいたい。いたいよー」と泣き続ける娘。
熱も出ているので冷やしたいものの、
抱っこをねだり続けて2、3時間。

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炎症を抑える薬が効いてきたのか、
やっと抱っこで眠った娘。

その後、30分ほどで目が覚めたら、
少し口の痛みが収まった模様。

そんなこんなで、
今朝はすっかり平熱近くまで戻り、
鼻水がでているものの、
調子はよくなったようで、一安心。

本当に本当に、
ただただ祈るように看病した日々でした。

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津軽百首(りんごが実る頃)

悠々と 腰曲がりたる 老木の 枝に実りし 津軽の林檎

ゆうゆうと こしまがりたる ろうぼくの えだにみのりし つがるのりんご

どっしりとした老木が居並ぶ津軽のリンゴ畑。秋になり、その古いリンゴの木には、たわわにりんごが実っている。

青森と言えばりんご。
その中でも、りんごと言えば津軽。

そのくらい、
津軽にとってのりんご畑はなじみの深いもの。

秋になり、たわわに実る赤いリンゴは、
一種のイルミネーションのように、
かわいらしく日に照らされている。

今でこそ、Y字仕立てのりんごの木が主流ですが、
昔は横に広がる剪定をしていたので、
幹はどっしりとし、
この季節になると、
まさにたわわに赤いりんごを実らせます。

その下で、
ほっかむりをした農作業のおじさんやおばさんが、
3時のおやつを広げ、
ラジオをかけながら談笑しています。

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その傍らには、
青いカゴに入れられたもぎたてのりんごたち。

津軽の秋はとても活気にあふれていて、
りんご畑はとてもにぎやかです。

 

 

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津軽の冬(安田蝸牛さんからいただいて)

しゅんしゅんと 薬缶息まく 奥津軽 しんしん積もる 雪の声聞く

しゅんしゅんと やかんいきまく おくつがる しんしんつもる ゆきのこえきく

奥津軽の冬は厳しい。暖かい部屋の中ではしゅんしゅんと薬缶の蒸気、凍てつく外ではしんしんと雪がふりつもっている。

津軽百首で詠んだ「津軽の冬」に、
安田蝸牛さんから新しい見方をいただいたので、
考察とともに公開させていただきます。

まず、先日公開した「津軽の冬」と相違は、

「しゅんしゅんと薬缶息まく奥津軽 しんしん積もる雪は重なり(ふじこ)」
「しゅんしゅんと薬缶息まく奥津軽 しんしん積もる雪の声聞く(安田蝸牛さん)」

です。

この最後の部分の違いについて、
考察を書いていきます。

まず、最後の部分が「雪は重なり」の場合、
「しゅんしゅんと」「しんしん」という音の情景から、窓の外の景色へいざなっています。

これは、雪国出身の方なら共感いただけると思うのですが、
「薬缶の音が響くくらい静かなので、きっと雪が降り積もっているのだろうという予測です。降り積もる雪が全ての音を吸い込んでしまうので、薬缶の音が響くということは、必然的に外が静寂である(=雪が降っている)という前提条件のもとに詠んだ歌になります。

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それに対して、最後の部分が「雪の声聞く」になりますと、
「しゅんしゅんと」「しんしん」という音の情景をより際立たせる描写になります。

雪国出身者の前提条件である「雪が降る=静寂」がなくとも、
薬缶の蒸気の勢いと、外の静寂さの対比が浮かぶ歌となります。
また、ずっと「音」に注目し続けることで世界がぶれないですし、先ほどの歌とは全く違った視点になります。

どちらの首が優れているか、とかではなくて、
どちらも津軽の冬を詠んだ首で、二つの見方で楽しんでいただけたらと思います。

それにしても、最後の部分でここまで意味が変わるとは、
まったくもって言葉は深いものですね。

今回、掲載を許可してくださった安田蝸牛さんに改めて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!

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津軽百首(田植えが終わる頃)

田植え後に 藁龍ひそむ 津軽路 清め祓いて 豊穣祈る

たうえごに わらりゅうひそむ つがるみち きよめはらいて ほうじょういのる

津軽の田植えが終わると、ムシと呼ばれる藁で作られた龍が橋の上や木の上に飾られます。
このムシを燃やし、農作物が害虫被害にあわないよう五穀豊穣を祈ります。

津軽平野に広がる水田に、
まだ小さな稲の葉が揺れる頃。

虫送りというお祭りが開催されます。

ムシと呼ばれる藁で作られた龍が、
橋の上や木の上に飾られ始めるのです。

これは、守り神ではなく、
農作物に仇名す害虫に見立てたもの。

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このムシを燃やすことで、
農作物に病害虫がつかないように、
五穀豊穣になるように祈るのです。

もうもうと白い煙を上げて燃えるムシ。
ひらひらと落ちる灰は穢れを落とすとも言われています。

幼き頃から毎年みていた風景。
今も、そして、これからも続くであろう風景。

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津軽百首(春の告げ人)

雪残る 津軽の畦に ふきのとう 萌黄色した 春の告げ人

ゆきのこる つがるのあぜに ふきのとう もえぎいろした はるのつげびと

厳しい津軽の冬も終わりに近づき、あちこちで雪が解け始めます。
久しぶりに陽の目を見た枯れ葉の間には、萌黄色のふきのとうが春の訪れを告げています。

厳しく長い津軽の冬。

それでも、
その冬が永遠と続くことはない。

全てが真白の世界となり、
寒さに凍えていたとしても、
必ず終わりが来る。

長い長い冬が終わりを告げるころ、
田んぼの畦道には、
萌黄色のふきのとうが芽吹き始める。

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白と茶色の世界から、
少しずつ彩りのある世界へ。

そう、
春が来たことを告げてくれる。

小さくも力強いその姿に、
これから訪れる花の季節を想い、
冬で疲れ切った心身が癒されるのである。

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