津軽百首(百万遍塔)

輪になりて 大きな数珠に 念仏を 唱え継がれる 百万遍塔

わになりて おおきなじゅずに ねんぶつを となえつがれる ひゃくまんべんとう

お彼岸の時期になると、大きな数珠を持ち、集落にある「百万遍」と書かれた石塔の前で輪になって数珠を回しながら念仏を唱え、祈りを捧げていた。
今はもうみることもない、遠き日の思い出。

津軽百首(百万遍塔・津軽弁)はこちら

私がまだ小学校の頃、
お彼岸になると行われる行事があった。

それは、
集落の入り口にある「百万遍」の石塔を、
大きな数珠を持ちながら、
念仏を唱えていくというもの。

参加者は、
隣近所のおじいちゃんおばあちゃんや、
その集落の子供達。

「なんまんだぶ、なんまんだぶ(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏)」
と、抑揚をつけた念仏を唱えながら数珠を回す。

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緑のフサフサがついた一際大きな数珠玉がきたときは、
自分のおでこにつけて祈る。

念仏が終わった後は、
お供えしたお菓子をみんなで食べて、
ジュースも飲んで、大満足。

今はもう、過疎化が進んでやる人もなくなった。

それでも、
帰省時に百万遍の石塔の前を通るたび、
お辞儀をする。

今でも村を守ってくれていることへの感謝と、
ただいまの意味も込めて。


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津軽百首(冬のハタハタ)

ごうごうと 地吹雪の中 聞こえるは 「ハタハタ来たぞ」と 告げる遠雷

ごうごうと じふぶきのなか きこえるは 「ハタハタきたぞ」と つげるえんらい

地吹雪の風がごうごうと吹き荒れる中、遠くで雷の音が聞こえる。
この雷は本格的な冬の始まりで、そして、ハタハタ(鰰)がきたことを告げているのだろう。

幼き頃、
祖父が言っていた言葉。

「おろー、雷鳴ったはなんで、ハダハダ取れでるべな」

外は猛吹雪。
その風の中で、
夏のそれとは違う雷の音。

「季節変わる時だっきゃ、雷なるもんだはんでな」

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祖父の言葉通り、
その数日後、ハタハタが食卓に上がる。

卵たっぷりのハタハタは、
シンプルな醤油煮。

あとは、
ストーブの上にアルミホイルを敷いて、
その上で塩焼き。

味はシンプルな白身魚の味で、
身はほろほろ柔らかく、
でも、ちょっとだけ硬い骨。

冬の雷がなるたびに思い出す、
今は亡き祖父との懐かしい時間。


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津軽百首(りんごの花が咲く頃)

真白なる りんごの花は お岩木の 山裾に咲く 市松模様

ましろなる りんごのはなは おいわきの やますそにさく いちまつもよう

岩木山の麓は、白と緑の市松模様のように、りんごの花と青葉に包まれている。

りんごの花の色は白。
青葉はまだ少し柔らかい。

花と葉が同時だからこそ、
たくさんの花とたくさんの葉が、
まるで市松模様のようになる。

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岩木山は、
まるで衣替えするかのように、
新しい衣を纏う。

今年は台風が少なく、
豊作でありますように。


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津軽百首(北の果て竜飛崎)

龍が飛ぶ 津軽の果ての 竜飛崎 風は誘う 終わりなき路

りゅうがとぶ つがるのはての たっぴざき かぜはいざなう おわりなきみち

龍が飛ぶという名のごとく、一年中、風が強い竜飛崎。
この先は津軽海峡があり、そして北海道がある。路は途絶えたかのように見えても、風はその先へと誘ってくれるだろう。

津軽の果て、竜飛崎。
一年中、風が吹き荒れ、
その風はまるで龍が飛んでいるかのよう。

目の前の津軽海峡をはさんで、
晴れていれば北海道がはっきりと見えます。

龍飛崎が有名なのは、
石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」の歌詞と、
太宰治の「津軽」に登場しているからでしょう。

今ならば青函トンネルがあるものの、
その前は青函連絡船が唯一の交通手段。

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津軽の果てと呼ぶにふさわしいもの寂しさは、
以前より発展した今でも健在です。

最近、改めて太宰治の「津軽」を読んだのですが、
津軽に住んで読んだ当時よりも、
東京に住んでいる今の方が、
もっともっと理解度が増したような気がします。

おかげさまで、津軽百首もこの歌で30首となりました。

まだまだ先は長いですが、
焦らずにじっくりと詠んでいきたいと思います。

※今までの短歌は、「短歌一覧」のページから全て読むことができます。


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津軽百首(空き家の郵便受け)

今はもう 便りなくとも 赤錆を 纏い待つのか 郵便受けよ

いまはもう たよりなくとも あかさびを まといまつのか ゆうびんうけよ

空き家となった玄関にある古い郵便受けよ。
もう表札も外され主人はいないというのに、錆を纏いながらも、未だ便りが来るのを待っているのだろうか。

以前の短歌でも書いたように、
帰省するたびに空き家が増えています。

農業だけで生活するには、
未だに厳しいのが現実で。

同じ津軽でも栄えている、
青森や弘前や五所川原に家を構える人が増えて。

そうなると、
表札が外されて空き家となる。

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私がまだ小さかった頃は、
もっともっと活気があって、
どこでもみんなの笑い声がしていた。

その声が聞こえていた家も、
りんご畑も、
学校すらも、
今はひっそりと佇んでいるだけ。

この歌は、
主人が家を離れ表札をはずされた郵便受けが、
それでも便りが来るのを待っているさまを詠んでみました。

いずれこの空き家も取り壊されて、
ただの更地となり、
風が草花を揺らす場所となるのでしょう。

ならばせめて、
今はあの頃を思い出し、
せめてその想いが家人の元に届くよう祈るのみです。


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